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  不可能の任務  

 

不可能的任務  
 

2008年 日語組指定演講第一名 李淑秀 成功

 

不可能の任務

不可能的任務

 
去年の3月妹が病気でなくなり、84歳のお母さんは鬱病にかかって毎日くよくよ、家から一歩もでませんでした。心配した私はカラオケ、書道、絵の稽古など色々手配してなんとかお母さんに元気を取り戻そうと思いましたが全部断れられました、生きているだけで心は死んでいました。いくら頑張ってもお母さんの悲しみをいやすことができませんでした。 
 

去年 3月妹妹因病往生、84歲的媽媽整天悶悶不樂不出家門、我很擔心想盡辦法安排活動都被拒絕、怎麼做都無法減輕她的悲傷。

ある日、私は息子と台中へいくことになって、お母さんも一緒にいかないかと誘いました。また断られると思いましたが意外にも承諾し、でもついでに台中に住んでいる一人の友人を探してくれという条件がありました。 
 

一天我有事要去台中、邀請她、本想又會被她拒絕、但竟一如反常的答應、但有一條件就是要順便帶她去找尋一位住台中的朋友。
 

20年前妹が7年間台中で医学を勉強していた時お母さんは4年間共に住んでいたことがあり、その時ある雑貨屋のおばあちゃんがよく世話してくれました。そのおばあちゃんが探す相手なの、おばあちゃんいくつですかと聞いたらなんとお母さんより16歳年上ですって!お母さんは今年84歳!そうするとそのおばあちゃんは100歳です。まだ生きている可能性がありますか?
 

 20年前妹妹住台中 7年,讀醫學院時媽媽曾陪她住在台中 4年、這 4年中有一位雜貨店的歐巴桑常常照顧她們,她就是媽媽要找尋的人。問該歐巴桑幾歲?媽媽說大她 16歲、媽媽今年 84歲、那不就 100歲?有可能嗎還活著嗎?

この暗い毎日の中、お母さんが珍しく笑顔を見せ、出発当日お母さんは美容院で髪の毛をセットして新しい紫色のスーツを着て新しい靴を履いて口紅も付けました、お母さん若く見えますねと言ったら、すごく喜んでいました
 

這些陰暗的日子裡媽媽展現了難得的笑容、就這樣急速展開了尋人工作。

朝、台中の港で遊びました。午後はさっそく人探しを開始!

もう
20年経っています、なにもかも変わって、店、道も大きく変わり、息子は車を飛ばして町じゅうを走り回りました。お母さんは時々降りて店の人に(ここに雑貨屋のおばあさんはいますか)と聞いています。noと答えられるのは予想通りです。私たちはただ静かに側に付いていてあげました。新しい靴は少しきついですが、でも母さんは全然不自由と思わないようでした。
 

20年了、人事全非、街道全變、媽媽頻頻問店家:這裡有一位雜貨店的歐巴桑嗎?結果當然是沒有、新鞋有點緊、她一點都不覺得不適。

夜はホテルで一晩泊まって翌日朝から、息子がまだ寝ているうちに、タクシ-で医学院の近くまで行ってまたこの不可能に近い人探しをしました。お母さんの話しだとあのおばあちゃんんは20年前よく公園で体操をやっていたそうです、100歳のおばあちゃんが公園で体操?まさか、まあ、いいか!私はやっぱり静かに側に付いていてあげました。
 

晚上在飯店住了一晚、第 2天一大早就到醫學院附近又展開了這近乎不可能的尋人任務、媽媽說 20年前該歐巴桑常到公園做體操、一個 100歲的人會來公園做早操?僅管有一大串疑問、我還是靜靜地跟著。

公園で様々な運動をしている人達にお母さんが聞いて回り、答えは皆no。恐らくお母さんもそのおばあちゃんがまだ生きている可能性はすくないと思っていますが親子おたがいに明らかに言い出せませんでした。
 

媽媽一一詢問公園裡做各式各樣運動的人、搖頭是肯定的回答、我想媽媽心裡也明白該朋友已不在的可能性很大、但是我們彼此都不拆穿。

歩きながら、ここは以前の貸家、この橋は妹が毎日学校に行くとき必ず渡す橋、この市場は妹を学校に見送ってから買い物した所、、、思い出が一つ一つよみ返りお母さんが一々教えてくれました、、私は静かに聴きながら。妹から聞かされたこの町で起こった色々なことを思い出して、そうだ!この町です、20年前よその町から勉強にやってきた一人の娘と母親が四年間住んでいたのです。20年後一人の悲しい母親がまたこの町にやってきて先立った娘との色々な思い出を懐かしく噛み締めています。 
 

媽媽邊走邊告訴我、這裡是以前租的房子、那座橋是妹妹上學必經的、這市場是妹妹上學後她去買東西的地方、回憶一幕幕湧出、我靜靜地聽著、回想起妹妹常提起在這裡發生的種種、是的!就在這個城市20年前有一位外地來的學生跟母親在這裡共同生活過4年、20年後的今天一個悲傷的母親來到這裡懷念這與早逝的女兒共处過的點點滴滴。

初秋の台中、明け方はすがすがしい空気が満ち溢れています、そよ風に白髪をゆらしたお母さんの顔はもっと老けて見えます。お母さんは目を見張って、ゆっくり すみずみまで見渡しています。お母さんが何を探しているのか、誰を探しているのか、私にはすべてわかりました!ここに私がいるのよ! 私がついているよ!もうすぐ輝かしいお日様がのぼってきますよ!とそう言いたいです
 

初秋的台中清晨瀰漫著清爽的空氣微風飄動媽媽的白髮更顯蒼老、媽媽張大的眼睛慢慢地沒有放過任何一個角落、媽媽!妳到底在找什麼、妳在找誰、我都知道!我想告訴妳!還有我在!我就在妳身邊、不久燦爛的陽光就要出來了。

公園と医学院に歩き回る親子の足音が響いていて、言葉に言い表せない幸せが親子二人を包んでいます。私は更に妹に近づいたような気がしました。
 

我們母女的腳步聲在公園及醫學院附近響起、一種無法言喻的幸福感深深地包圍著我們彷彿妹妹就在我們身邊離我們更近了。

雑貨屋のおばあちゃんが見付からなかったことはお母さんにとってあまり残念ではなかったようです。これでやっとお母さんの気持ちがはっきりわかりました、可愛がっていた末娘をなくし、もう会えなくなり家に閉じこもっていても娘の姿が見付からない。この切なくて切なくてどうしようもできない気持ちを雑貨屋のおばあちゃん探しという理由に託して、かつて娘と生活していた町を訪れ、ここで思いでを噛み締めながら亡くなった末娘を身近に感じたかったのです。
 

找不到雜貨店的歐巴桑發現媽媽並沒有失望的表情、才知道疼愛的么女驟逝再也看不到了、呆在空蕩蕩的家找不到愛女的蹤影這種無奈與痛苦或許她只有藉著找朋友為目標、來到以前曾經與么女一起生活過的地方、只有在這裡她才能更接近死去的妹妹。

台中の旅は終わりました、誰も雑貨屋のおばあちゃんはまだ生きている可能性は少ないと言いませんでした、お母さん!毎年探しに連れてゆくよ!と言ったらとても喜んでくれました 

 

台中之旅結束了、我們誰都沒有戳破這事、我跟媽媽說明年我再帶妳去找這位朋友!

母は今年もう85歳です。この不可能の任務をいつまでもつづけて行きたいです、お母さんの手を引いて妹の短い人生の中で住んだことのある町で一緒に妹のことを懐かしく思い出すのはすごく幸せなことだと思います。これで終わります
 

她很高興、媽媽今年已 85歲這不可能的任務不知會再做幾年、但牽著媽媽的手陪媽媽在這妹妹短暫的人生中曾經佇足的地方懷念妹妹的感覺是幸福的!